ラブストーリーは突然に

それは大会も近づいてきた初夏のこと。
いつものように部活動を終えてメンバーと別れ、校庭まで出たところで忘れ物をしたことに気づいた。
それが教科書やペンケースならまぁいっかですませるのだが、締め切りも近い大会用の資料となればそうはいかない。もれなく数十分かけた道を逆戻りの刑である。


「あーもう、めんどくせー」

ぼやきながら部室のノブを回す。
長らくろくに手入れもされず放置されていたからだろう、ひどく錆付いた扉はギギギと不快な音を立てて開いた。
さて、忘れた資料は…っと目を走らせたところで、大和の目は一点に釘付けになった。


「……なにこれ殺人現場?」

夕暮れで紅く染まった部室のど真ん中に、人が転がっている。なんというミステリー。
これで近くに刃物でも落ちていれば完全に殺人現場である。
某探偵マンガの主人公が名推理でもかましてくれそうだ。
じっちゃんの名にかけて!…なんちって。


冗談はさておき、なぜ先ほど別れたはずの彼がここでぐうぐうと眠っているのか。
気持ちよさそうに木床のうえで丸まって眠る”彼”―会津誉を見て、大和はおいおいと溜息をついた。

(もーホント…相変わらず電波な人だなぁ)
自分のことをすっかりと棚に上げて、大和はお世辞にもキレイとはいえない床の上でぐうぐうと眠る彼の横にしゃがみこんだ。


特に起こしてやる義理もなかったが、夏とはいえ日が落ちれば寒い。
さすがに門が閉まるまでには見回りの警備員が来るだろうが、それまでに風邪を引いてしまうかもしれない。

(さすがに…放置するわけにはいかないよねー。うん…)

誰に聞かれたわけでもないのにそれらしい理由をでっちあげてから、大和は躊躇いがちに規則正しく揺れる小さな肩に手を伸ばした。


「…かいちょー?」

おーい、とゆすってみるが、反応は無し。
仕方がないのでぺしぺしと頬を叩いてみても、ううんと不明瞭な声が上がるだけ。
あ、ダメだコレ。

「ほまれー、ほまれさーん?生きてるー?」
「………ぅ…ん〜〜」

しつこく叩けばイヤイヤをするように頭を振って、そのままころりとこちら側へ寝返りをうつ。
髪の流れが変わり、先ほどまで隠れていた表情が夕日の下に照らし出された。
まあるく柔らかな曲線を描く頬に夕暮れの紅が映えて、ふと視線が釘付けになる。

「………」

ん、あれ、あれー…。
こうしてみると、何だか可愛く、見えなくもない、かも。

普段嫌味ばかりをつむぐ口はすうすうと小さな寝息を立てており、きつく斜線を描く整った眉毛がゆうるく穏やかな曲線を描いている。
たったそれだけだったが、それは大和に目の前にいるのが別人であるかのような錯覚を与えた。

引き寄せられるように床の上に散らばっている亜麻色の髪を掬ってみると、やはり普段の彼のツンケンした態度とは真逆のふわふわと柔らかい感触が指先を掠めた。


「んん………」

くすぐったいのか、誉がむずがるような声を上げる。
ひくりと動いた睫は意外と長くて、大和の心臓を跳ねさせた。

…なんか、ヤバいかも。男相手に?…っていうか、会長相手に?

それでも、じりじりと背を這うようにあがっていく得体の知れない高揚感に、いやおうなく思考は溶かされていく。
規則正しい寝息だけが響く部室はおそろしく静かで、大和にここがいつでどこなのかを忘れさせた。

自由奔放にはねるネコっ毛を撫で回しながら、好奇心の赴くままその柔らかそうな頬に手を滑らせる。
普段生意気な憎まれ口ばかり叩くその頬もやはり、髪と同じように柔らかく大和の手のひらを受けとめた。

(やーらけー……)

何度かぷにぷにとその白い頬をつつくが、誉は二、三度かるくうめいただけですうすうと眠り続けている。


「………ん、…んー…」
「………うーん…こりゃマジで寝入ってんな」

数日前から珍しく生徒会の仕事を自分で片付けていたようだし(さすがに生徒総会をサボるのはマズいだろう)、疲れているのかもしれなかった。

部活の仲間によるとどちらかといえば寡黙で、常にぼんやりしているというのが誉の専らのイメージらしいが、大和からすれば誰の話?といいたくなる。

自分の姿を見るなりぎゃんぎゃん噛み付いてきたり、顔を赤くしたり青くしたり−彼は、どちらかというと―少なくとも自分の見る限りでは―賑やかな人物のようであった。

果たしてどのどちらが本当の会長の姿なのか。
分からないが、とにかく自分の前で無防備に眠る会長なんてのは超がつくほどレアな存在ということだけは間違いなくて―それを少し、ほんの少しだけ寂しく感じた。

(…俺が”きつね”だから、かね)

大和を”きつね”と呼ぶ誉は、常に大和を警戒しては噛み付いてくる。
ならばそんな俺を敵視して毛嫌いする彼は”うさぎ”だろう。
彼らにとっての”きつね”が天敵であるように、自分もまた彼にとっての天敵なのだろうか。

そういえば部内で名前で呼ばれていないのも自分だけだ。
なんだか急におもしろくない気分になって、大和はそのまま彼の鼻をかるくつまんだ。

「むっ、むーー」
「…うぷぷ、会長ってばすげー間抜け面〜」

鼻を押さえられて息苦しいのか、みるみる誉の表情が険しくなっていく。
俺を訳のわからないイライラに巻き込んだ天罰が下ってるのだ、ふははは。
暫く眉間に皺を寄せてうんうんと唸る会長をによによして鑑賞する。

そのまま続けてやれば、さすがに寝てもいられなくなったらしい。
もぞもぞ、と誉の肩が揺れて、不明瞭な声が徐々に大きくなった。
ふるり、と睫が揺れて、栗色がゆっくりと現れる。

「…―あ」

寝起きの表情をからかってやろうと覗き込んだ大和はしかし、そのまま動けなくなってしまった。

まだ覚醒しきっていないのか、蕩けきった瞳。
息苦しかったせいか、すこし上気した頬。
いつもの険が消え去った表情は、彼が年上ということを忘れさせるほどにあどけなくて。

―そして、薄くひらかれた唇がみえた瞬間、半ば衝動的に身体が動いていた。

「………………ん、」

亜麻色の柔らかな髪が頬に触れる。
シャンプーの香りに混ざった、ほのかな汗の香り。
鼻から抜けたような誉の声があがってはじめて、意識が身体に追いついた。

(……っ、何やってんだ、俺…!)

とんでもないことをしてしまった、理解した瞬間ばっと身体を離した。
心臓の音がうるさい。
おそるおそる誉の方を見てみるが、まだ覚醒しきっていなかったらしい彼は目をこすっていて、こちらの存在には気づいていないようだった。

どうしよう、何か声をかけるべきだろうか。言い訳?
いや、けど何を言えばいい?
そもそも、もしさっきの出来事に気づいてなかったら?

一瞬のうちに、色んな事が大和の頭を駆け抜ける。
ぐるぐると回る思考はしかし、誉が目をぱちぱちと瞬かせ、こちらを見た瞬間にすべて真っ白になった。

「……まと?」
「うわあぁあああああ!ごめんっ!俺、もう帰るからっっっ!!」


*   *   *


「…ありえねぇ何やってんの俺…!」

唇を押さえながら、だかだかと鉛色の廊下を大股で駆け抜ける。
周りの不良達が何事かと此方を振り返るが、いまの大和にはそれにおびえる余裕さえなかった。

ありえないありえない。
きっと大会前のプレッシャーかなにかで頭がどうかしていたのだ。
そんな時に、珍しい会長の姿なんかみたもんだから。だから、それで。

「……だよね、うん、あははは…」

そう、どうかしていたんだ。
叫んだあの瞬間、熱っぽい声が自分の名を呼んだ気がしただなんて。

まだ熱の断片が残る唇をなぞって、大和はずるずるとその場に座り込んだ。
心の中で燻る煙は、まだ小さく淡い。

…それこそ、遅効性の毒のように。


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